YOKOTA TOKYOでは「岡崎和郎 —HISASHI—展」を開催します。
庇(ひさし)をモティーフとする《HISASHI》は岡崎和郎を代表する作品シリーズです。彼独自の「補遺」という概念と結びつき、空間は《HISASHI》によって内部へと迫り出し、天と地に分けられます。そして内と外、彼方と此方、内的な我々の意識をも変化させます。
岡崎和郎(1930-2022)の横田茂ギャラリーでの展示は1989年の「hisashi」展から始まりました。それから展開し続ける岡崎の作品の展示を続けてきましたが、ここで改めて《HISASHI》に立ち返り、岡崎の作品と向き合います。
* * *
「哲学とユーモア―〈HISASHI〉をめぐって」より抜粋
巖谷 國士
〈HISASHI〉は白い壁から突きでている。それ以外の展示方法はない。そしてたぶん、ひとつの壁にひとつの〈HISASHI〉というのが原則だろう。
壁というのは不思議なもので、かならず上下左右に区切りがある。永遠につづく壁というようなものはありえない。壁とは、じつは部分でしかないものなのだ。
〈HISASHI〉はどんな壁にもとりつくことができる。そして、このへんなものがとりついたとき、当の壁は、それ以前にあった壁とは別のものになる。どんなに広い大きな壁、どんなに狭い小さな壁であっても、〈HISASHI〉の憑依・突出によって、それが限りある壁だということを意識させられる。〈HISASHI〉は壁の全体を部分としてめざめさせる特異なアートである。
(中略)
〈HISASHI〉はそこに追加・補足されているのではなく、そこにある―― というよりも、いるのである。
〈HISASHI〉には意識のけはいさえある。私たちがそれを見ている、というだけではなく、〈HISASHI〉のほうが私たちを見ているという印象さえ芽ばえる。
私たちは〈HISASHI〉に見られている気がしてくる。
いや、それも正確ではないだろう。〈HISASHI〉はむしろ、その水平の視線によって私たちの視野を、水平に切ってくる―― という感じのほうが近いだろう。
水平に切るという行為。じつは岡崎和郎が〈HISASHI〉の石膏型をとるときに、くりかえしくりかえしこころみてきただろう一瞬の切断のわざが、この〈HISASHI〉には記憶されているのである。
とろりと溶けかかりながら凝固している縁の部分が、事後の短い時間に空間化した何かをとどめる。ある見方からすると、これは記憶の芸術だともいえるだろう。
(中略)
岡崎和郎は不思議なアーティストである。
〈HISASHI〉はへんなものである。へんなものではあるけれど、同時にどこか厳粛で、 堂々として、どこか決定的な物のありかたを体現しているものだ。
それはそこにあるのではなく、いるものなのだ。
初出:〈hisashi〉展カタログ(1989 年 於 横田茂ギャラリー)
『封印された星 瀧口修造と日本のアーティストたち』(平凡社刊)に再録
横田茂ギャラリーでの岡崎和郎の最初の個展は「hisashi」は1989年(平成元年)でした。
それに先立つ二年ほど前、世田谷のアトリエで石膏の《HISASHI》習作群と対面しました。その翌年に還暦を迎えた岡崎のその後の作品系譜は、その時にはすでに描き終えていたように思います。
一人の作者が作品を手がかりに求めてゆく先は唯一、と思う私には、年毎に彼が思い描いた作品を展示し続けてきました。そしてこの美術家と画廊との二人三脚は、展覧会そのものを思考するためにも大事な時間となりました。
その後も30年以上の時間、ことあるごとに制作中の作品について熱く語り、「HISASHI」展への準備をしている矢先にその語らいは途切れましたが、彼の作品は唯一、在り続けます。
「HISASHI」から始まり「HISASHI」へと 天地人 の大きな円を描いて……。
横田 茂